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「TRUMP series 15th ANNIVERSARY ミュージカル『LILIUM -リリウム 新約少女純情歌劇-』」5/1 PIA LIVE STREAM

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▼「LILIUM -リリウム 新約少女純情歌劇-」
TRUMPからはじまりヴェラキッカまでを見終えた人間がはじめて見るリリウム。これまで見てきた作品で打たれていた点を丁寧に線で繋いでいくような気持ちで見た。黑世界を見ているからリリーが永遠の命を持っていることもリリーのせいでクランが崩壊したことも知ってはいたものの、その核心は知らないままだったので。ソフィアンダーソンの与える永遠から解放されるために無理心中を遂行した張本人であり、たったひとり生き返った生き残りがリリーであるというのははじめて知りました。リリーのイマジナリーを見て妙に自罰的な子だなと思っていたけれど、本人たちの意志を問わずに大量殺戮を繰り広げたという事実と永遠に向き合わなければならないのだと思うとそうならざるを得ないのかもしれないなと感じる。今回のリリウム、これまでTRUMPシリーズの他の作品で見てきたキャラクターと、キャストは違うのにしゃべりかたのトーンや言い回しがとても似ていて。だからこそ余計に過去や未来と地続きで見ることができたような気がする。リリー、マリーゴールド、リリーのイマジナリーとしてのチェリー、紫蘭、竜胆。自らの死を信じてファルスにかけた「そうやって永遠の孤独の中で泣いてろ」という呪いの言葉が、望まざるして不死を得てしまった自分へ呪いとして跳ね返ってきているのだと気がついたあとにリリーの悲鳴を残して終わる舞台、あまりにも無慈悲。

ソフィアンダーソンに一方的な幸せを押しつけられた結果このサナトリウムクランに辿り着いたマリーゴールドが、ここでリリーに一方的に幸せを与えようとして最悪の結末に踏み出してしまったという事実、二重に辛かった。そこに人間種の中で石を投げられて生きてきたマリーゴールドが吸血種の中に入っても石を投げられて生きているという辛さも重ねられるので辛いよ。マリーゴールドのイニシアチブがマーガレット姫姉様への主従関係に重なって地獄の宴に繋がるのも、止まらない地獄雪だるまみたいで凄絶。「さあ、あなたたち!一緒にスノウを殺しに行きましょう!」「はーい!姫姉様!」でうふふと笑いながら去っていくの、頭を抱えるしかないもん。恐らくアドリブを全力で担っているマーガレットとあまりにもセーラームーンなマーガレット親衛隊のことを微笑ましく見ていたので、気高さすら感じる白く美しいドレスを身に纏ってナイフを片手に「今宵は殺戮の宴だもの」と歌うマーガレットを見てこんなことってないよになった。マーガレット、本人の特性なのか繭期のせいなのかはわからないけれどだいぶ愉快なのに上品さを感じる佇まいでとても好きだった。スティグマを歌うマーガレットの歌声、凛としていて特別好き。

引きの定点で見たことでこの舞台がちょっと偏執的さを感じるほどシンメトリーで構成されているということがわかったの、興味深かった。個としてのみならず集団としての美しさも突き詰められている印象。照明演出もとても美しいし、見ていてテンションが上がる。その最たるみたいなキャスパレは結末を知ってから見ると初見よりも地獄感が増すので。ファルスの一振りでリリー以外の全員が倒れ込む描写を一周して結末を知ってから見せられるしんどさよ。共同幻想ユートピアがファルスの指揮の下で披露されていたり、気がつくと理解できるポイントが細かく散りばめられている。視点の誘導ができるスイッチングのある配信だと、気がついていないそういうポイントにもっと気づくことができるのだろうな。リリーの生きる世界がせめて優しく暖かいものであるようにと願う気持ちは変わらないけれど、リリウムをしっかり見てから見る黑世界の印象がどう変わるのか気になるので、機会があればまた黑世界を見たい。

▼アフターイベント「二輪咲き」
リリウムの前日譚。この後このサナトリウムクランで何が起きたのかを知っている状態で聞かされる、クランのみんなの「いやよ!殺されるなんてぜったいにいや!」という言葉で心をずたずたにされました。リリウムでなんとなく察していたことが二輪咲きを通ることでよりくっきりと浮き出るように確かになる要素がいくつかあったのでよくできた物語だよ。マリーゴールドが新入りとしてクランにやって来た際のチェリーの挙動から、彼女もダンピールなのではないかと疑いを持って、その疑いを抱えたままにもう一度リリウムを見ると納得に至る要素が散りばめている。もっと不確かででも鮮明なのが、私がリリウムで見たシルベチカはほとんどずっとシルベチカではなくリコリスだったのではないかという点。決定打はないはずなのにじわじわと、私が見ていたのはきっとリコリスだったのだと思わされる。「ここは箱庭よ。偽りの夢を見るための箱庭。でも安心してシルベチカ、あなたが忘れてしまっても、私が覚えている。私たちは、ふたりでひとりなんだから」というリコリスの言葉を聞いて、リコリスは主人格であるシルベチカの守護者だったのではと思ってしまってもうだめです。守護者なんてワードにいい要素は何もないんだから!!!イニシアチブの支配下にないリコリスは長い長い忘れられた時間を一人で抱えていて。そこで出会って執着したキャメリアに「これからずっと一緒に年を取っておじいちゃんとおばあちゃんになってもずっと一緒にいよう。死が二人を分かつまで」と手が届かない星を差し出されたのだと思うと。リリウムを通らずに見ていたら「約束してほしいことがあるの」「なんだい?シルベチカ」が所謂どんでん返しポイントなんだろうなと思うのだけれど、リリウムを通っているのでその次の「わたしを忘れないで」でぶん殴られる仕様になっていてこんな全方位から悲鳴を引き出せる物語があるのか、と衝撃を受けた。背景を理解して聞くことによって、言葉の重みが何倍にもなる。

私はソフィアンダーソンを少し知り過ぎているので、これだけ利己的で無邪気に無慈悲な振る舞いを見てもどこかでほんの少しの同情を抱いてしてしまうのかもしれないと思った。「ファルスお兄様は、トランプ?」という言葉に「あんなやつと一緒にするな!クラウス!僕から死を奪った!あんなやつと僕を同じに語るんじゃない!」と声を荒らげるファルスは、どれだけ口で否定しようともクラウスと同じようなことをしているように見えるから切ない。あいつとは違うと思っているのかもしれないけれど、本人の意思を確かめることもなく自分と共に生きる不死の存在を手に入れようとしている上その目的のために何も知らない者たちの命を刈り取っているのだから。下手したらクラウスよりも質が悪いよ。リリウム本編よりもソフィアンダーソンに踏み込んだ描写があるので、余計にソフィアンダーソンについて考えてしまった。結局何もかもクラウスのせいなのではと思うことで「はじまりの吸血種」という言葉にもう一つ意味が重なるように思えてくるもん。